こんにちは^^
高校野球には、往年の名監督と呼ばれる人が数々いらっしゃいます。
そんなカリスマ的名監督の意志を受け継ぎ、
今のチームを育てている監督について、その人となりを掘り下げていきます。
今回は、関大北陽高校の「辻本忠監督」についてです。
経歴や野球の指導方法、嫁や子供についてもリサーチしますので、
どうぞお楽しみに~!
もくじ
辻本忠監督(関大北陽)の経歴やプロフィール!
関大北陽高野球部の監督、辻本忠氏について、調べてみましょう!
まずは、経歴です。
関大北陽高校・硬式野球部監督
- 1976年(昭和51年)生まれ
- 1992年(平成4年)4月 北陽高校入学
- 1994年(平成6年) 春・夏甲子園大会出場
- 1995年(平成7年)4月 京都産業大学入学
- 1998年(平成10年) 北陽高野球部コーチとして就任
- 2014年(平成26年) 関大北陽高校・野球部監督就任
高校野球監督あるあるだと思いますが、辻本監督も母校・北陽高校野球部出身。
1994年の3年生の時には、4番ライトとして、春・夏甲子園連続出場を果たしています。
この写真は、夏の大会時のもので、
北陽高校としては、13年ぶり5回目の夏の甲子園出場でした。
ちなみに戦績は、3回戦まで進んだそうです。
二刀流としてにぎわせた・元プロ野球選手(オリックス)の嘉瀬敏弘選手とは同期でした。
この大会の2回戦では、二人でアベックホームランを打って、勝利に貢献したんですって。
北陽高を卒業後、京都産業大学に進んだ辻本忠監督。
1998年には、北陽高の野球部コーチとして母校に帰ってきます。
1998年といえば、まだ大学在学中。
当時、北陽高の監督は、辻本さんたちを甲子園に導いた名将・新納弘治監督でした。
新納監督に呼ばれたのか、
辻本さんから引き寄せられていったのか、定かではありませんが、
ここから、辻本忠さんの監督への第一歩が始まったんですね!
コーチに就任した翌年、念願の夏の甲子園に出場。
初戦で敗れはしましたが、学校中大いに盛り上がったそうです。
その後、前任の新納監督の退任をうけて、2014年関大北陽高野球部監督に就任しました。
恩師の志を受け継いで、伝統の北陽魂をもった監督の登場というわけです。
辻本監督が監督に就任して、5年目に入っています。
そろそろ、念願かなって甲子園出場という段階に来ている気がしますよね!
もっと辻本監督の情報を知りたいと、プロフィールを調査してみましたが、
残念ながら、探すことが出来ませんでした。
ですので、出てきた情報から、辻本監督の気になるアレコレを探っていきたいと思います。
年齢は、1976年生まれの43歳で、社会科の先生だそうです。
京都産業大学の出身ですから、政治経済あたりが専門の先生かもしれませんね。
身長・体重に関しては、情報がありませんでしたので、推測してみます。
この写真は、2015年北陽高の同窓会の一幕。
辻本監督のご挨拶の横で、緊張した顔をしているのが、当時野球部員で3年生だった岸本君。
この岸本君の大学時代のプロフィールによると、
身長173㎝・体重86㎏ となっていました。
この数字と、この写真を併せて見てみると・・・。
辻本監督の方が、少し背が高い気がしますよね。
体重も、もしかすると少し多いかも。
ただ、岸本君は大学に入ってから、体が大きくなっている可能性もありますよね。
ということで、私の勝手な推測ですが、
辻本監督は、身長175㎝前後・体重80㎏後半。
こんな感じの体格なのではと思います。
みなさんはどう思われますか?
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辻本忠監督の野球指導法は?
そろそろ本領発揮が期待される辻本監督。
チーム自体も、甲子園まであと少しという感じがしますね。
では、辻本監督が目指すチームとはどんなチームなのか、
野球指導法から、覗いてみましょう!
辻本監督の指導法を語るには、脈々と受け継がれる北陽野球部を作り上げた二人の名監督の存在を忘れるわけにはいきません。
実際、辻本監督自身もインタビューで答えています。
松岡(英孝・元監督)先生、新納(弘治)前監督が築き上げてきたことを継承しています。
社会に出て通用する人間をと私も教えられてきましたし、私もそれを生徒に伝えています。
野球以前に人間として成長できるようにということを頭において指導しています。
出典:https://www.hb-nippon.com/column/437-baseballclub/13221-20190126no554
また、辻本監督の恩師である新納前監督は、
「部員が200人いるときに、200番目の子を大切にする、ということを恩師から受け継いだ」と話していました。
高校野球は、ただ野球をすればいい、ただ野球が強ければいいということではありませんよね。
あくまでも、高校におけるクラブ活動ですから、
高校生の人間形成の場として、ふさわしくないといけない。
そこを常に考えて指導してくれているなら、親御さんも安心して子供さんを預けられますよね。
辻本監督の野球指導法は、常にあることを意識しています。
それは「甲子園で戦う」ことです。
関西大学の併設校となり、野球部も学業との両立を重視しています。
平日は学校から離れたグラウンドでの練習ですから、練習時間は3時間ほどしかなく、効率化が求められています。
俊敏に切り替える、これが効率化には必要ですよね。
俊敏さというワードを重きをおくのには、甲子園で戦うということも見越しています。
甲子園では1日に3~4試合行うため、常にスピードを意識しているそうです。
攻守の切り替えやベンチの移動など、とにかくバタバタあわただしい。
そんなとき、日ごろから「俊敏」を頭において、練習することは必ず役に立つのではないかと考えます。
辻本監督が高校時代に甲子園に出場した経験があるから、日々の練習から甲子園における戦い方をシュミレーションしているんですね。
高校野球のシーズンは、やはり春夏。
秋からは冬場は、新チームの育成と個々の能力の向上がメインテーマとなります。
もちろん、それは関大北陽でも同じこと。
冬場は、個々の能力を引き出すため、厳しい強化練習を行うのだそう。
アップとして2時間のランニング、1時間の個人ノックを皮切りに
午後からも、1000~1500の連続ティーを行ったりと、限界を超える練習を課しています。
チーム全員で盛り上げるということが、大きなテーマとなっていて、
しんどい時こそ、明るく練習できるかということを意識しながら、限界を乗り越える練習をしたということです。
自らの限界を打ち破ることが、強くなる秘密であり、選手たちの自信を高めていくという精神が辻本監督の持論。
これが、まさしく代々受け継がれてきた「北陽魂」なんでしょうね!
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辻本忠監督の嫁や子供もチェック!
辻本監督の人となりにもっと迫ってみようということで、
ご家族についてリサーチしてみました!
しかし、あいにく、ネットでは情報を探すことが出来ませんでした。
高校野球の強豪校の監督といえども、一般人なので、あまり情報が出回ってないんですね。
奥様やお子さんって、いらっしゃればどんな方なんでしょうね~!
おそらくですが、高校時代の辻本監督は、なかなかモテてたんじゃないかなって思いません!?
(私の勝手な推測ですが)
なんせ、甲子園出場・ライト4番で、おまけに甲子園ではホームランを打つくらいですから。
結構、地元では有名人だったんじゃないかと思うんですよね。
高校野球の監督さんあるあるですが、学生時代の友人と結婚されている方が多いんですよ。
サラリーマンなどと違って、野球一色の生活ですから、
社会人になってから、女性と知り合う機会って少なそうですよね。
きっと、辻本監督の奥様も、学生時代からのお付き合いなんではないかと!
北陽高校は辻本監督が通っていた当時、男子校でしたから、
中学からの同級生もしくは大学の同級生、なんていうのが有力ではないかと思いますね!
私の勝手な思い込みかもしれませんが、
スポーツ選手や、スポーツに携わる方って結婚早いですよね。
スポーツに真摯に打ちこむには、環境がとても大事ですから、
家庭を持ち、余計なことを考えずに済むような状況をつくることは、必要です。
辻本監督も、そうなのでは、と思いますね。
そうなると、お子さんも、もう高校生とかそのくらいになってそうですよね。
きっと運動神経のいいお子さんに育ってるんじゃないでしょうか?
やはり、蛙の子は蛙です。
関大北陽で野球をやっててほしいなぁって、思います。
あ、あくまでも私の勝手な希望ですがね。
みなさんは、どう思われますか?
高校野球にとって、監督はとても大きな存在です。
監督は、ただ単に野球の監督というだけではなく、
先生という授業を教えてくれるだけでもなく、
選手たちのその後の人生形成にも深くかかわる存在です。
一人の人間として、選手と向き合えることが一番重要で、
そういう監督のもとだと、チームも強くなっていくのだと、改めて思いますよね。
今回は、大阪の強豪校「関大北陽高」の辻本忠監督について、リサーチしてみました。
経歴やプロフィール、野球指導法、嫁や子供についても調べました。
今後、旋風を巻き起こしそうな「関大北陽高野球部」
どうぞ応援してくださいね!
それでは、ありがとうございました。