沖縄の興南高校野球部の監督ってどんな方なのでしょうか?
今回は、我喜屋優監督の経歴やプロフィールからお嫁さんや子供さんまで!
面白い名言についてもまとめてみました!
こんにちは!
エンタメガ天の管理人かじぃ〜です。
この記事に興味を持っていただきありがとうございます!
では早速、内容に入っていきますのでごらんくださいね!
もくじ
我喜屋優監督(興南)の経歴やプロフィール!
ではまず、我喜屋優監督のプロフィールからチェックしていきますよ!

出典:週刊野球太郎
名前:我喜屋優
読み:がきや まさる
生年月日:1950年6月23日
年齢:68歳(2019年6月4日時点)
身長:不明
体重:不明
出身地:沖縄県島尻郡玉城村(現南城市)
出身高校:興南高校
出身大学:進学しておらず
現役時代のポジション:四番打者、中堅手、主将経験あり
我喜屋優監督の出身高校は、現在監督を努めている興南高校です。
一時は地元の沖縄を離れているとはいえ、母校の興南高校に戻ってきて監督を努めているなんで地元愛があるかたですよね!
沖縄本土復帰前の’68年のことです。
我喜屋優監督は夏の甲子園に興南高野球部主将、中堅手として出場しました。
その結果はベスト4!
高校卒業後は、大学には進学せず、静岡県富士市にある「大昭和製紙」にて野球を続けます。
そして、「大昭和製紙」に入社後4年目に北海道白老町にある「大昭和製紙北海道」に映ることになりました。
社会人時代の我喜屋優監督も都市対抗線などで準決勝や決勝に度々進み、本塁打を放つなどして度々活躍したそうです。
74年の第45回都市対抗野球大会では優勝にも輝きました。
その後、89年、大昭和製紙北海道野球部監督に就任します。
そして、翌年から4年連続でメンバーを都市対抗戦出場に導いたとのこと。
2007年には、母校に戻り興南高校の監督に就任。
2010年には、当時史上6校目となる春夏甲子園連覇を果たしました。
当時の夏は沖縄県勢としては、初の優勝とのことでしたので地元はさぞ盛り上がったことでしょうね!
興南高校就任後の我喜屋優監督の実績としては
- 就任3年間で4度甲子園出場
- 全国制覇1度
- 監督として甲子園通算12勝3敗
このようになってますね。
ちなみに、2011年から興南中学、高校の校長先生や理事も務めているそうです。
沖縄の野球少年からは憧れの存在なのかもしれませんね!

出典:おきなわ野球大好き
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我喜屋優監督(興南)の名言まとめ!
ではここからは我喜屋優監督の名言について見ていきますよ!
名言その1:「野球は改革。古いものは捨てる」
出典:ライブドアニュース:2015年7月30日 11時15分 プレジデントオンライン
勝つためには、必要のない伝統や習慣は捨てる!ということでしょうか?
僕はこの名言から我喜屋監督の覚悟のようなものを感じますね!
名言その2:お前たち、よくこれで甲子園を目指しますなんて言えたな、と(苦笑)。
出典:https://number.bunshun.jp/articles/-/96554
野球の世界で結果を残すことを知る我喜屋監督ならではの名言かもしれませんね。
選手たちも気合が入ったひとことではないでしょうか。
名言その3:逆境は友達になった方がいい。逃げたらいつまでも追いかけてくる。
出典:http://meigennkakugen.blog.fc2.com/blog-category-57.html
僕はこの名言が気に入りました。
確かに「逆境」や「ピンチ」から逃げていたらいつまでたっても解決しませんからね。
一つ一つ課題に向き合う我喜屋監督の誠実さが伝わってきますね!
名言その4:魂知和(こんちわ)
出典:http://news.livedoor.com/article/detail/10409285/
これは、興南高校野球部の創部当時の監督がつかいはじめた野球部のモットーだそうです。
地元を離れているときは我喜屋監督自身も忘れていた言葉だそうですが
母校の興南高校の監督に戻るにあたって選手たちの心を一つにするためにに復活させた言葉だそうですよ!
ちなみに意味は
- 何事にも信念を持って取り組む「魂」。
- たくさんの知恵や知識を身に着ける「知」。
- 仲間の信頼や協力を得る「和」。
だということです。
もしかしたら、あなたも興南高校野球部の生徒に「魂知和(こんちわ)」と
声をかけられることもあるかもしれませんね!
名言まとめ
興南・我喜屋優監督の語録
・社会のリーダーとなる精神づくりをすれば、おのずと野球もうまくなる。
・あいさつや人付き合い、協調性、毎日の練習は、嫌でも、逃げても追いかけてくる。必要なのは意識しながら慣れること。そうすると「友達」になれる。
・朝起きてから寝るまで、五感を活性化させることで、小さいことに気づき、大きな成果が出せる。普段から小さいことができないと、サインを見落としカバーリングを怠る。
・散歩でたばこの吸い殻を見て見ないふりをする人は、「おれは関係ねえ」とカバーリングに回らない。誰が捨てたのでもいいから拾わないと、試合にならない。
・朝食のみそ汁やゴーヤーのおいしさを感じ、作ってくれた人に感謝の気持ちをもって残さない。そういう小さなことを感じられる男は、大きな仕事ができる。
出典:( 2010-08-26 朝日新聞 朝刊 3社会 )
いかがでしょうか?
素敵な名言をたくさん残されている監督さんですね!
僕も今年の興南高校のメンバーがどんな活躍をするのか?
更に気になってきました^^
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我喜屋優監督(興南)の嫁や子供について!
ではここからは我喜屋優監督のご家族関係について紹介していきますね!
我喜屋優監督は、結婚されていて奥様と二人の娘さんがいます。
我喜屋優監督のお嫁さんの名前は「万里(まり)」さん。
年齢などについてはわかりませんでしたが普段は興南高校野球部の「寮母」として選手の方たちの栄養管理や生活などのサポートをしているそうです。
ちなみに万里(まり)さんはこの写真の方のようですね。

出典:https://www.walkerplus.com/article/13813/image49256.html
また、万里(まり)さんは、我喜屋監督が北海道にいたときに母校の興南高校の監督を引き受けるか悩んでるところの背中を押してくれたことがあったそうですよ。
興南野球部は1983(昭和58)年の夏を最後に甲子園から遠ざかっており、長い低迷期にあった。甲子園で最初に旋風を起こし、沖縄高校野球のリーダーだったはずの興南は、その立場を沖縄水産に、さらに沖縄尚学に譲って久しかった。
そんな母校の要請に悩む我喜屋に、北海道生まれの妻が背中を押した。
「家族をほったらかして野球ばかりやってきたのに、今のお父さんは会社の接待役ばかりで男芸者にしか見えない。沖縄で野球をやったらどうですか」
https://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20140413/bbl1404130830002-n1.htm
このエピソードを見ると我喜屋監督より奥様のほうが肝っ玉が座っているのかもしれませんね(笑)
また、2010年の興南高校が優勝した時の様子もインタビューにて語られていました。
相当嬉しかったのでしょうね!感激の様子が目に浮かびます^^
「第82回選抜高等学校野球大会」
また、野球部の寮母でもある我喜屋優監督の妻・万里さんは「今、すごく震えています。選手たちがメダルを掛けられているのを見ていたら泣いてしまいました。選手たちはとても生き生きとした表情でしたね。(帰って来たら)『おかえりなさい』って言ってあげたいです。(夫の我喜屋監督から)『優勝して帰るから!』と言われていたんですよ。今日4月3日は(我喜屋監督の)母の101才の誕生日なので最高のプレゼントになったと思う」と優しい笑顔で語った。
照れながら「(監督を)初めてほめてあげたい」とおどけた万里さん。選手たちが大好きだというアイスを冷蔵庫に忍ばせ、元気に沖縄に帰ってくる日を心待ちにしているという。
出典:https://www.walkerplus.com/article/13813/
では次は我喜屋監督の娘さんについてです。
我喜屋監督には、長女の里(のり)さん、次女の尚(なお)さんの二人の娘さんがいます。
娘さんについても一般人ということもあり、年齢や顔写真など詳細については不明です。
わかったことだけでも紹介させていただきますね!

出典:https://safaiareiko.ti-da.net/e2871045.html
こちらの写真は娘さんではないのですが我喜屋監督の貴重な女性との2ショットです!
『サファイア玲子の恋せよ!お仕事♪』というラジオ番組の一幕のようですが我喜屋監督の娘さんがなんとなくこんな感じかな!?というのがイメージできるのではないでしょうか?
また、我喜屋監督の長女の里(のり)さんは、興南高校野球部のトレーニングのアドバイザー役もやられているようですね。
もしかしたら、里(のり)さんも学生時代は何かスポーツをやれれていたのかもしれませんね!
いかがだったでしょうか?
今回は興南高校野球の監督の我喜屋優さんについて書いてきました。
今年の甲子園でも活躍できるといいですね!