辻口博啓の経歴や年収は?出身高校や料理学校もチェック!

 

辻口博啓さん、という名前だけを聞いてもいまいちピンとこない方もいらっしゃるかも知れませんが、お顔を見ればすぐに誰だかわかります。

そう、「料理の鉄人」で鉄人を負かした有名なパティシエ、金髪のヘアスタイルが特徴的な方です。

今回は辻口博啓さんのパティシエとしての華々しい経歴や、意外な出身高校気になる年収や料理学校のことを調べてみました!

辻口博啓のプロフィール!

出典:兼六園周辺文化の森

 

名前:辻口博啓(つじぐちひろのぶ)
職業:パティシエ
生年月日:1967年3月24日
出身地:石川県七尾市(能登地方の中心地)
血液型:A型

和菓子屋「紅屋(べにや)」の長男として生まれました。

洋菓子屋さんではなく和菓子屋さんだっとは、意外ですね!

元々実家を継ぐつもりだったそうですが、小学3年の時に招かれた友人の誕生日会で生まれて初めてショートケーキを食べ、そのおいしさに感動し、「自分もこんなおいしいケーキが作れるようになりたい!」と洋菓子職人を志すようになったそうです。

まさに子供の頃の夢を叶えたのですね!

ご実家は、辻口博啓さんが18歳の時に残念ながら倒産してしまいました。

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辻口博啓の出身高校や料理学校は?

出身高校は、石川県立中島高等学校

 

 

能登地区の高校再編によって、同じ七尾市内の石川県立七尾東雲高等学校に統合され、今は閉校しています。

最寄り駅を調べてみたら、なんと素敵な名前がついています。

高校卒業後、本来なら製菓専門学校等の料理学校に行って、パティシエを目指しそうですが、辻口博啓さんは意を決して上京し、東京都内のフランス洋菓子店で住み込みで働き始めました。

その理由は、実家の和菓子屋が倒産し、継ぐはずだった家業も帰る家も無くなったため、自分の力のみで生きていかざるを得なくなったからだそうです。

現在に輝かしい実績や経歴の裏には、こんな苦労もされているのですね。

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辻口博啓の経歴を調査!

住み込みの下積み時代を経て、いかにして有名パティシエへと成功の階段を昇って行ったのか、気になる経歴を徹底的に調査してみました。

1990年、史上最年少の23歳で「全国洋菓子技術コンクール」優勝。
その後、多くの国内大会で優勝したことから「コンクール荒らし」と呼ばれるように。
1994年、フランスの「コンクール・シャルル・プルースト」で銀賞。

出典:恵比寿イーストギャラリー

1997年、パティシエのワールドカップと呼ばれる「クープ・ド・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」のあめ細工部門で優勝。

出典:東京製菓学校

フランスのセット市にあるMOF(フランスの国家最優秀職人章)の称号を持つ洋菓子店「パティスリー・ベルタン」で修行を重ねる。
1998年3月、東京・自由が丘に「モンサンクレール」をオープン
2004年、二子玉川の百貨店内に「和楽紅屋」オープンし実家の紅屋の再建を叶える
2012年4月、石川県に「スーパースイーツ製菓専門学校」(学校法人国際ビジネス学院)開校。学校長に就任。

 

出典:http://stat.ameba.jp/user_images/20180113/18/h-tuji/f5/bc/j/o1478111014111187815.jpg

 

製菓学校には行かなった辻口さんですが、自ら「スーパー」な料理学校を作ったんですね!

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辻口博啓の年収もチェック!

一般的なパティシエの年収は、年収としては200万円台前半が相場

10店舗以上展開する大手のシェフパティシエやチーフになることで、年収500万円程まで昇給するそうですが、一般的に言えば年収の低い業界と言えるかもしれませんね。

現在は東京・自由が丘に「モンサンクレール」を含めて10ブランドの店舗展開のみならず、学校の経営や、チョコレートやサプリメントのプロデュース、そしてメディアへの露出と多岐にわたる活躍をされている辻口さん。

パティシエ以外での収入源を複数持たれていることから、数千万の年収は得ていそうです。

今回調べた辻口博啓さん、推定数千万円の年収を得るまでの、下積み時代やコンテスト優勝への圧倒的な努力を振り返ってみると、夢を叶えるのはいつも簡単ではありませんね。

そんな彼のドキュメンタリー映画が2019年1月25日より全国6か所のイオンシネマで公開されます。

パティシエになりたい人、スイーツが大好きな人必見の映画です!

 

出典:https://chocolat-movie.com/

 

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