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佐々木孝介監督(駒大苫小牧)の結婚した嫁や子供について!経歴も調査!

出典:日刊スポーツ

 

佐々木孝介監督は、『駒苫フィーバー』で沸いた駒大苫小牧野球部の監督です。

元チームメイトはなんとヤンキースの田中将大投手!

みなさんご存知ですよね☆

 

佐々木孝介監督は一体どのような経歴の方なんでしょう?

選手時代の話も知りたいですよね。

 

そして気になるこのイケメンっぷり!

この顔面スペックで、甲子園に出場すればたちまち話題になっちゃいます。

彼女は!?それとも結婚してるの!?子供は!?

 

気になることがたくさんの佐々木孝介監督にスポットを当ててみました。

それではどうぞ!!

 

佐々木孝介監督の結婚した嫁について!

 

佐々木孝介監督はイケメンすぎて、

大会に出れば選手より目立ってしまうくらいの人気っぷり。

奥さんor彼女が気になってしょうがない!!

ということで調べてみました。

 

Wikipediaによると[妻がいる]という記載がありました。

奥さん、いるんですね・・・。

ですよねですよね、こんなにイケメンでお相手がいないはずないですよね。

 

この元ネタは、

日刊スポーツの『私のコラム』というコーナーで

取り上げられた時に記載がありました。

この記事は2015年9月5日のものですので、

それ以前にご結婚されたということになりますね。

 

奥様はどんな方なんでしょう?気になりますね~。

 

これはあくまでの私の予想なんですけど、

どちらかというと、落ち着いた雰囲気を持った方

なんじゃないかと思ってるんです。

 

佐々木孝介監督は、大学卒業後すぐに指導者の道に進まれています。

となると有力な出会いは高校もしくは大学時代。

野球中心の佐々木孝介監督に理解を示してあげられる方を

選ぶんじゃないかなって思ったんです。

 

高校時代だと、周囲の女の子は同じくスポーツ一生懸命やってる子が多かったと思うし、

大学だとマネージャーじゃなくても練習や試合をフェンスの向こうでいつも見てた子

みたいなね。

 

駒大苫小牧野球部は、父母会がしっかりしていたり、

定期的に交流会や慰労目的のイベントがあったり

(BBQしたり、パークゴルフしたり)

毎年夏には佐々木孝介監督の余市の実家で

農業体験&お手伝いをしたりしています。

そういうことのサポートができる人を、

佐々木孝介監督なら求めるんじゃないのかな~。

 

あくまで私の予想ですけどね!

 

ちなみに、私の中で『監督の妻』っていったら

やっぱりこの人かな!

これは青学・原監督の奥さんじゃん!

さすがにこの方までの介入はないと思いますよ。

だって原監督の奥さん、寮母さんですから。

 

あと、チームを陰で支えるというイメージだとこの人みたいなかんじかな。

 

・・・誰!?

 

え!知らない!?雅山の奥さんですよ!

元雅山の二子山親方を陰で支える女将さん、竹内侑加さんです。

もうジャンル全然違うし。

 

なんか話が全然逸れちゃいました汗汗

まぁいずれにしても、佐々木孝介監督の奥様は、

監督自身や選手たちを陰で支える芯のある女性だといいな~ってことです!

 

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佐々木孝介監督の子供や家族を調査!

では佐々木孝介監督、奥様以外のご家族は?

そちらも調べてみました!

 

まずはお子さんの情報ですが、

こちらもハッキリとした情報がつかめませんでした。

あのルックスに有名校の監督という背景から、

ググられるのは用心しているのかもしれません。

 

2015年の時点で奥様だけってことは、現在いたとしてもまだ小さいですね。

 

佐々木孝介監督も、もし息子が生まれたら野球やらせたいのかな~。

最近はプロで活躍した方々の2世がテレビで取り上げられたり、

高校野球で活躍したりしてますからね。

 

元木大介さんの息子はU-12の世界一だし、

https://www.instagram.com/p/BmYJYr-gU23/

真ん中の黄色い帽子の男の子がそうですよ!

 

 

ハマの番長・三浦大輔さんの息子は、負けちゃったけど平塚学園の3年生だし、

 

あ、でも女の子でもなにかスポーツさせたいかな?

横浜と広島で活躍した石井琢朗さんの娘さんはテニスの世界でチョー有名!

出典:https://tennismagazine.jp/_ct/17274001

 

ここまで成長するのはまだまだ先の話ですが、

イケメンの佐々木孝介監督のお子さんなら、

将来はイケメンor美女アスリートになりそうですもんね!!

 

令和の北海道スポーツを賑わせる・・・、みたいなね!

ウフフ、おばさんの妄想です~♪

 

お父様とお母様も健在です。

地元余市で農業をしているご両親のもとへ

選手を連れて毎年農業体験とお手伝いに行っています。

 

ご兄弟は野球をするきっかけになったお兄さん。

2歳年上なんですって。

お兄さんの背中を追いかけていくうちに

どんどん野球もうまくなっていったんですね。

 

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佐々木孝介監督のプロフィールをおさらい!

佐々木孝介監督のプロフィールは以下をご覧ください。

名前:佐々木 孝介

読み:ささき こうすけ

生年月日:1987年1月10日

年齢:32歳(2019年7月現在)

身長:178㎝(※大学4年時)

体重:70kg(※大学4年時)

出身地:北海道余市町

出身高校:駒澤大学附属苫小牧高等学校

出身大学:駒澤大学経済学部経済学科

現役時代のポジション:内野手(主にショート)

まだまだお若いですが、監督歴はすでに10年。

イケメンだけじゃない!佐々木孝介監督の経歴について

次の項目にまとめてみました。

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佐々木孝介監督に経歴について!イケメンの口コミもチェック!

それでは佐々木孝介監督の経歴について確認していきましょう。

 

佐々木孝介監督は北海道余市町出身、小樽の隣にある海沿いの町です。

余市出身の有名人と言えば、宇宙飛行士の毛利衛さん。

道の駅は宇宙関連の展示物などがあります。

 

佐々木孝介監督が野球を始めたのは小学校3年の時

2歳上のお兄さんの影響で野球を始めました。

ちょうどこのころに、のちに所属する『余市リトルシニア』が創立したんですって。

初めて使ったグラブはおじいちゃんが拾ってきたもの。

どこで拾ったの!?

 

小学生の時は通っている大川小学校の子が主に入団する

『余市強い子野球スポーツ少年団』で軟式野球をしていたという佐々木孝介監督、

中学に上がってから本格的に硬式野球を始めました

 

選手時代については次の項目で詳しくまとめましたのでどうぞ!

佐々木孝介監督の選手時代について!

中学校から本格的に硬式野球を始めた佐々木孝介監督、

地元チーム『余市リトルシニア』に所属します。

 

このチーム、けっこう強豪じゃないですか!?

全国大会の常連のようで、チームの公式ホームページによると、

佐々木監督の在籍中の中学2年の時に

ジャイアンツカップという中学硬式野球の全国大会で3位になっています。

 

余市町をはじめ近隣の小樽や、遠くは80㎞以上離れた

黒松内町や寿都町からも野球をしに入団しているような有名チームみたいですね。

 

佐々木孝介監督のチームメイトには、のちに甲子園でもともに戦う

林裕也さんや、田中将大投手の同級生・本間篤志さんもいたようですよ。

 

佐々木孝介監督が子どもの頃の指導者はお父さん

朝日新聞デジタルの記事によると、

スポーツ少年団の時は監督として

余市リトルシニアの時はチーム理事として

息子のチームに携わったそうです。

 

厳しかったんですって、お父さん。

佐々木孝介監督は、親の指導という点で受け入れられない部分もあったようですが、

駒大苫小牧野球部に見学に行って、衝撃を受けることに。

 

朝日新聞デジタルの特集記事[白球燦々]で、佐々木孝介監督の

中学校時代の反発心や、駒大苫小牧に訪れた際の心情などが明らかになっています。

 

余市シニアではチームの理事として関わった。隆さんは下級生には優しく、上級生には厳しく接するのが身上。シニアでは3年生が道具を率先してそろえるように求め、遠征時には選手だけで食事、洗濯、入浴など運営の一切を取り仕切るように指導した。息子は「こんなこと、どこもやってねえよ」と反発したが、父は手を緩めなかった。

出典:http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20180618011740003.html

そんな反発心を抱えながら駒大苫小牧の見学へ。

そこで佐々木孝介少年は衝撃を受けます。

孝介さんが中学1年の99年秋、余市のグラウンドに運動着姿の香田監督が現れた。「この人、武士みてぇだな」。その姿が寝ても覚めても忘れられず、突き動かされるように父に頼んで苫小牧へ向かった。グラウンドに足を運んで目を見張った。規律正しく元気のよいあいさつ。全力疾走……。「父の言っている世界がここにある」と思った。

出典:http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20180618011740003.html

きっとこの時、ハキハキと動く高校生に衝撃を受けたのもあると思いますが、

父親のいう事が正しかったと感じたのも驚いたんじゃないでしょうか。

 

そんなわけで駒大苫小牧野球部に入部した佐々木孝介監督、

日刊スポーツの2009年8月1日、佐々木孝介監督時の記事によると

1年生秋からレギュラーを獲得するほどの実力だったみたいです。

当時から100人前後いたとされる駒大苫小牧野球部で、

3年引退後とはいえ1年からレギュラーだなんて!すごいですね!

 

チーム自体も、明治神宮大会や春の選抜・夏の甲子園大会など

全国大会の常連へと成長していきました。

 

高校2年の甲子園では、1回戦で倉敷工高に8-0で勝っていたのに

雨天ノーゲーム。次の日の再試合で負けてしまったそうです・・・。

この時の悔しさが選手の原動力になったとか。

(なんと再試合は早実戦だけじゃなかった!!)

 

3年の時に佐々木孝介監督は主将を務め再び甲子園に。

この年は涌井秀章選手擁する横浜高校や、2004年春の選抜優勝の済美高校など

名だたる強豪がひしめいていましたが、

とうとう甲子園初優勝を果たします!!

 

北海道勢、ひいては北日本で初の甲子園優勝ということもあり

『今まで渡れなかった白河の関を飛行機で飛び越えていった』と話題になりました。

 

早くからチームの中心として活躍していた佐々木孝介監督、

将来、監督となる土台もすでに高校時代、ひいては子ども時代から

土台はできていたのかもしれません。

それを感じさせるエピソードがあります。

佐々木さんは早々と頭角を現した。余市シニアの理事だった父の厳しい指導の影響で「(指導者の)目を見れば求められるものが分かった。言われる前に何でも先回りした」。香田監督の表情から意図を読み、仲間に代弁できたのは、父と香田監督が求めるものが同じだったからだという。「上級生が道具を片付け、選手が自主的にチームを動かす。余市で大切にしてきたことがここでリンクした」。チームの中心になっていくのは必然だった。

出典:http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20180619011740001.html

 

『今、必要なこと』をいち早く考えられるスキルが付いたのは

まさにお父様の力が大きかったんでしょうね。

だからこそ、香田誉士史監督の指導力のすばらしさも

より感じやすかったのかもしれません。

 

高校卒業後は駒澤大学へ。系列校でもありましたが、

香田誉士史監督の母校という点も決め手になったかもしれませんね。

1年遅れてシニア時代からの後輩・林裕也さんも入部します。

 

大学時代は思ったような活躍が出来なかった様子の佐々木孝介監督。

レギュラー定着とはいかずに苦しんだ時期があったもようです。

北海道のローカル番組『Dアンビシャス』でその様子が放送されたことがありました。

(写真や動画が見つかりませんでした。ゴメンナサイ。)

 

当時注目をされていたのは2歳年上の長野久義選手。

バッティングが群を抜いていたそうです。

長野選手が当時所属していた日本大学も東都大学リーグ。

プレーを目の当たりにすることも多かったんでしょうね。

 

3年の時に学生コーチに転身

これは佐々木孝介監督監督が希望したというより、

上から促される形での就任だったようです。

選手としてはくやしい部分があったと思いますが、

この経験が、若くしての駒苫監督就任につながったのではないでしょうか。

 

では佐々木孝介監督の監督としての経歴についてふれていきたいと思います。

引き続きご覧ください!

佐々木孝介監督の監督時代の経歴!

日刊スポーツのコラム『私の恩師』によると、

佐々木孝介監督が指導者を志したのは高校生2年の時。

香田誉士史監督に出会って『指導者になりたい』と思ったそうです。

その時は監督になるというより、

監督として駒苫を率いる香田誉士史監督のもとに戻りたいという想いだったようですね。

(当然のことながら、当時は香田誉士史監督がこんなに早く

駒大苫小牧を去るとは思っていなかったと思います・・・。)

 

大学でも教職課程を専攻して、教員免許を取りました。

2016年度の駒大苫小牧高校のパンフレットによると、

現在は体育コースの公民の授業を担当している様子。

(コレ、野球部は居眠りできないパターンですね!)

 

佐々木孝介監督は駒澤大学を卒業した2009年に野球部コーチに就任し、

8月1日に監督に就任しています。

駒沢大学スポーツ編集部『コマスポ』によると、

2007年、大学3年の時に臨時コーチとして駒大苫小牧の甲子園出場に帯同しています。

少しずつ監督としての準備が始まっていたんですね。

 

監督就任スタートした2009年8月1日の日刊スポーツによると、

重圧はあったが腹を決めてやるしかないと決断し、

次の夢の第1歩を踏み出した佐々木孝介監督。

学校側も香田イズムを引き継ぐ者として抜擢した意図があったようです。

 

結果が出始めたのが4年後、2013年の秋季全道大会。

この大会で優勝し、明治神宮大会に出場を果たします。

2014年には春の選抜に出場し2回戦敗退、

2017年は明治神宮大会に出場し1回戦敗退、

2018年に再び春の選抜に出場しますがこちらも1回戦敗退と、

北海道内では勝率があがってきてはいますが、

なかなか全国の壁を破れずに現在に至っています。

 

2019年の夏の南北海道大会では

《報知高校野球2019年7月号》、《ホームラン7月号》

ともに最有力とされていた札幌大谷を1回戦で下し、

甲子園出場を大きく引き寄せています。

 

このまま突っ走れるか、注目が集まるところです。

佐々木孝介監督のイケメン画像と口コミ!

佐々木孝介監督のイケメンっぷりは巷でも話題に!

みなさんの声をまとめてみました。

 

 

こちらは学生時代のお写真。サワヤカ~☆

 

プライベートっぽいショットも見つけちゃいまいた。

教え子さんかな?

https://www.instagram.com/p/BmVxK-XHElq/

 

笑顔で選手を出迎える佐々木孝介監督。

佐々木孝介監督の野球指導法とは?

子どもの頃の体験から、自らで考えて行動することの重要さを

肌で感じてきた佐々木孝介監督、

選手にも考える力を養う取り組みを行っています。

これについては『高校野球ドットコム』のコラムで記されています。

 

2015年から取り入れたのは監督からのサインなしでの試合運び。

これには大きく2つの意図が含まれています。

 

一つは自分たちで勝負どころや攻撃・守備について判断できるようにすること。

攻守合わせて200以上の球の意味を考えて行動できるようにする目的です。

自分たちで『今、何をしなくてはいけないか』を考えられるようになると、

いざ監督がサインを出した時にその目的・意図を感じ取れるようにする

という目的もあるそうです。

 

もう一つは、自分たちで試合をまわすことで

性格が見えてくるというもの。

選手一人ひとりの特徴を捉える意図もあるみたいですよ。

 

また、可能な子にはプレッシャーをかけて

ストレスを与えるというちょっとスパルタな部分も。

これは佐々木孝介監督が高校生の時に感じた思いがもとになっているみたいです。

 

道外のチームはレベルが高くてとてもかなわないと思っていたが、

実は戦ってみると意外とそうでもない。

球も見えるしものすごく飛ばす選手がそうそういるわけではないという事を

全国の地で感じたそうです。

 

実際2004年に甲子園で1勝をあげてプレッシャーがなくなったそうで、

選手に「俺たち、いける!」という気持ちで戦ってほしいんでしょうね。

 

佐々木孝介監督が子どもの頃お父様から指導された

生活に関することや道具の管理・率先して行うことなどは

教え子にも指導しているはずです。

そこはブレてないと思います!

きっと駒大苫小牧の選手は大きな声で気持ちの良い挨拶をしてくれるんでしょうね!

 

今回は駒大苫小牧を率いる佐々木孝介監督にスポットを当ててみました。

今年は甲子園の地で佐々木監督が見られるでしょうか!?

楽しみですね☆

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