1月24日放送の探偵ナイトスクープの放送を視て愕然としました。
局長の西田敏行さんのあまりの変貌ぶりに驚きました。
ふくよかで涙もろい西田さんの笑顔どころか、声を出すのもやっとという姿は何かあるとしか思えません。
http://matome.naver.jp/より
西田敏行さん経歴
1947年、福島県生まれ、68歳。
小さい頃から映画少年で、東京やスターに憧れ、訛りがあっては役者になれないと高校から上京。明治大学に入って本格的に役者をめざします。
大学を中退してさっそく劇団を立ち上げますが、これには失敗して、1968年俳優座養成所へ。養成所卒業後、座員となった西田敏行は、1971年「写楽考」で早くも主役に抜擢、演劇界の注目を集めます。その後いくつかのテレビドラマなどに出演しますが、なかなか芽は出ませんでした。
西田敏行を一躍有名にしたのは、1976年、TBSのホームコメディ「三男三女婿一匹」。主演の大御所森繁久彌さんを相手に堂々と渡り合いました。
コメディのような、人柄のにじみ出るような役者としての評価が高まり、
そして、そのイメージは日本テレビの1978年「西遊記」、そして1980年「池中玄太80キロ」で決定づけられました。
その後は、1988年から映画「釣りバカ日誌」も始まり、お正月定番だったふうてんの寅さんをしのぐ人気シリーズとなります。
またNHKの大河ドラマにも数多く出演を果たすことで、知名度と人気を誇る俳優の一人となりました。
2015年にはアウトレイジでは冷酷なやくざも演じていました。
激やせはガン末期?
西田敏行さんは1947年11月4日生まれ
まさかと思って六占星術で調べてみたら、火星人ー。
思った通り大殺界真っ最中でした。陰影・停止・減退の減退です。
大殺界とは12年の周期で訪れる、自然界でいうと嵐や大地震のような災厄のことです。この時期には、新しいことは一切してはいけない、すれば災厄が訪れるといいます。
西田敏行さんは2015年は停止ですが、新しい仕事も沢山出演されています。癌ではなくてもかなりたちの悪い病気が進行したんではないかと思われます。
ちょうど12年前の2003年。自宅で心筋梗塞を起こして緊急入院したこと、なんとか一命は取りとめることができました。このときも大殺界でした。
2015年2月、映画「マエストロ!」の大ヒット御礼イベントに出席した西田敏行さんは、顔がひどくこけ、足を引きずりながら、手すりを支えにやっと登壇しました。
ふくよかでひょうきんなイメージしかない西田敏行さんのあまのりの変わりように、世間はびっくりしました。西田敏行は、再び重大な病気で激やせかと大変心配されました。
しかし後日、ひどい風邪と肥満が原因の痛風だろうということで今回は事なきを得ています。業界の人はそういうことにしておきたかったのではなかったんでしょうか。
2015年に交通事故で亡くなった萩原流石さんも、同じ火星人ーで、大殺界でした。12年前もうつを発症されて生還され、活動しだしたばかりでの他界です。
役者さんや女優さんは、どうして激やせして明らかに良くない状態だとわかってしまうのに作品に出てしまうんでしょうか?
痛々しくて見ていられません。
ふくよかで、明るくて、キラキラ輝いて、人々に希望を与えるような作品に登場していたイメージを抱かせたまま引退して治療をしてほしいです。
今まで仕事で一緒に過ごせなかった奥さんや子供や、お孫さんと沢山過ごして、治療をすれば、いい結果になったかもしれないのに。
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大殺界を乗り切れるのか?
乗り切ってほしいです。
2016年を乗り切れば、2017年は大殺界から抜け出します。
この心配が杞憂だったと言わせてほしいです。