こんにちは!
エンタメガ天ライターのアリオンママです。
春よりも夏って感じの暑さが続きますね。
暑さにやられちゃいそうです( 笑 )
暑いので、つい家から出るのが嫌でテレビばっかり見ています。
最近よく西野ジャパンのニュースをよく耳にしますね。
私はサッカーなどについても疎いので、西野監督や森保一監督くらいしか知りません…。
そこで、今回は以前も少し紹介した2020年東京オリンピック・U-21日本代表率いる森保一監督の年収や経歴や実績や大学などについて調べました。
もくじ
森保一の年収は?
まず始めに、森保一監督の年収について調べました。
監督となれば結構な年収もらっていそうですよね。
ちなみにサンフレッチェ広島の監督の時には年収は7,000万円だったそうです。
それ以外のものも含めると大体9,000万円程となります。
9,000万円…。
何か想像以上で驚きました。
やっぱり一般の企業とは桁が違いますね。
今回の東京五輪の監督の年収は4,800万円だそうです。
少し金額は下がったようですが、森保一監督は「お金よりも東京五輪の監督に感じて引き受けた」と言っていました。
お金じゃないって言える所、森保監督めっちゃカッコイイですよね!
今後の森保一監督の活躍に期待したいです。
森保一のプロフィールや出身高校や大学は?
続いては、森保一監督のプロフィールや出身高校や大学について調べました。
森保一監督のプロフィールはこちらです。
出典:Twitter
名前:森保一(もりやすはじめ)
年齢:49歳
生年月日:1968年8月23日
出身地:長崎県長崎市
出身高校:長崎日本大学高等学校
出身大学:進学していない
森保監督のお父さんはいわゆる転勤族だったそうで、小さい時は名古屋や横須賀などと転勤を繰り返していたそうですが、小学校1年生の時に長崎県に定住し、5年生からサッカーを始め、6年生には全日本少年サッカー大会にGKとして出場しています。
高校は長崎一のマンモス校で、中間一貫校の長崎日本大学高等学校に進学されました。
森保監督はサッカーの強豪校でもある国見高校へ行きたかったそうですが、受験に対する姿勢が良くなかったことからお父さんに反対され日本大学高等学校にしたそうです。
高校を卒業後は大学に進学せず、マツダの子会社のマツダ運輸に入社し、サッカーを続けられました。
小学生から始めたサッカーを大人になっても続けるってすごいですね。
森保一の経歴や実績を調査!
続いては、森保一監督の経歴や実績を調べました。
高校を卒業後はマツダ運輸に勤務し、マツダSC東洋でプレーをしていましたが、2年間ほどは公式試合などに出場することが出来なかったそうです。
1987年に入団し、1991年にはマツダとプロ契約を結びました。
1992年には日本代表に初選出をします。
1993年からはサンフレッチェ広島の選手としてプレー
日本代表として、1993年~1996年の間で35試合に出場し1ゴールといった成績を残しています。
選手としてはあまり活躍していたとは言えないのかも知れませんね…。
その後、怪我などもあったことから日本代表から遠ざかり、2004年には現役を引退し、その後は指導者の道へ進みました。
でも、マツダSC東洋当時監督だったハンス・オフト監督は森保監督の事を「将来プロの指導者になる」と言っていました。
その頃からハンス監督は森保監督の指導する力を見えていたのかも知れませんね。
2004年からサンフレッチェ広島の強化部育成コーチに就任し、2005年~2007年まではU-19、U-20の日本代表コーチを務め、2007年の9月~2011年はアルビレックス新潟でヘッドコーチを務め、2012年~2017年の7月までは再びサンフレッチェ広島で務められました。
監督としては、J1に 所属するクラブチームを2012年、2013年、2015年と3度優勝に導いています。
森保監督の指導で是非良い結果を残してほしい限りですね。